不測の事態が起きて危機に直面した時、リーダーに求められるのは「的確な判断力」と「素早い行動」だ。
東日本大震災における菅直人首相の判断はあまりにも悠長で、すべての対応が後手後手に回ったわけだが、日本企業の経営者たちも似たり寄ったりだった。
今の日本には政界にも財界にも本当のリーダーはいない。
民主党政権はリーダーシップ以前の問題だ。
なかでも菅首相は、意思決定の方法そのものが間違っている。
一例は、福島第一原発からの低濃度放射能汚染水の海洋放出を認めたことだ。汚染水が溜まって処理に窮した東電に泣きつかれ、「よし」と言ってしまった。一国のリーダーとしては最悪の判断だ。
なぜなら、海洋放出がすべて政府の責任になってしまうからである。
本来、菅首相は自分で意思決定するのではなく、政府、東電、GE、東芝や日立製作所、さらには周辺の漁民や近隣諸国の政府関係者、エキスパートも加え、海洋放出以外の方法がないか徹底的に討論させて、それでも海洋放出止むなしという結論になったら、初めて「よし」と言うべきだった。
これは責任回避ではない。
叡智を集めて、熟慮に熟慮を重ねたけれども代案は見つからなかった、という既成事実を作り、「したがって私としてはそれを受け入れざるを得ない」、という手順を踏むことによって国内も世界も納得し、リスクを最も小さく抑えることができるのである。
それを短期間でできるかどうかが、リーダーかどうかの分かれ目と言ってもよい。
また、優れた経営者はトラブルが起きたときに、問題解決の役に立つ人間を常に何人か手元に置いている。平時に活躍する人間と有事に活躍する人間は違うのだ。
一般的に企業は、上司の言うことに従順で平時の仕事を粛々とこなす人間を重宝がる傾向があるが、そういう人間は有事には役に立たないのである。
問題解決のためのチームを結成したら、一週間以内に現状分析と今後の対策、そして工程表を作らねばならない。一週間かけてもそれができないような組織なら、1年かけてもロクな対策はできない。
その集中力とスピードがなくては、有事のリーダーは務まらないのだ。
日本は再び、戦国時代のようなリーダーを養成する仕組みが必要な時期に差し掛かっている。
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