初優勝が嬉しくなかった訳は、レーサーとしてチャンスを掴むパターンに、”スーパーノービス”として注目されるのが一番の王道だった。
優勝してしまったことにより、来シーズンの「国内A級」昇格が確定してしまったのだ。
今シーズン中に”スピード”を身に付けなければならなくなった。
まだ、鈴鹿で「壁」すら越えていないというのに・・・
6月のある日、鈴鹿での練習走行中に、2分29秒台がたったの1周だけ記録された!
ひょっとすれば計測上の誤差かもしれない。
そんなことより、とりあえず1周だけとはいえ「壁」を越えたことに安堵する・・・
そして、4耐直前のレースにエントリー
1990.6.9
インターナショナル鈴鹿200kmロードレース NB-F3
鈴鹿サーキット 予選 23位(ウェットコンディション)
決勝 18位
ベストラップ 2’26.529
これまでのベストラップは 2’29.後半
あらら・・・、自己ベストを3秒も更新してしまった。
ただ、これではまだ4耐の予選通過には届かない。
周りの下馬評によると、24秒台を出さなければ予選通過は難しいようだ。
4耐にエントリー可能なクラスは、NB-F3とNB-SP400の2クラスで、SP400なら楽に予選は通ると思うのだが、スピードを求める以上”F3”にこだわりたい。
あと1か月ちょい・・・
専属メカニックなど当然いないわけだが、練習走行の合間、相方はブラブラして喋ってばかり。
相方は自力での予選通過なんて夢のまた夢。
ならばマシンの整備だけでもヤレや! と思うが、これもからっきしダメ。
タイヤ交換ぐらいなら、と任せたらローテーション(進行方向)を逆にセットしよった・・・
これに気付くのに時間が掛かり、高速コーナーで今までに無かった挙動の対策に結構な時間を費やし、貴重な練習時間を無駄に・・・
いい加減プッツンした僕は、当時の彼女にこう言っていた。
「何が何でも予選は突破したる!でも決勝は走らん!!」
1990.7.28
’90 鈴鹿4時間耐久ロードレース
エントリー台数485台(決勝63台) マシンは前年に引き続き、’89 NSR250RK
予選が始まる・・・ 20分間で走れる周回数は約8周。
尻上がりに調子を上げていくタイプの僕は、5周目以降26秒台を続けて記録するのだが・・・
メインストレートに戻ってきた時にコントロールタワーの時間表示を見上げる。
残り時間は「1分」表示。
「最後の周になるな・・・」
メインストレートを走りながら考える・・・ 「あと2秒どうやって縮めるか・・・」
「ブレーキングを頑張っても、立ち上がりでモタついたら意味がないしリスクが高すぎる、コケたら元も子もない」
「鈴鹿サーキットにコーナーがいくつあるか知らんけど(知っとけよ!)、全部のコーナーであとコンマ1秒ずつスロットル(アクセル)開けるのを早めよう・・・」
こうして最終ラップのトライが始まった・・・
トライが終わってピットに戻って来ると、ピットクルーやスタッフが大騒ぎしている。
「どっかで見たことある光景やな・・・」
ちなみに、2時間耐久ロードレースというのがある。
4耐の予選落ち上位60台で争い、3位までは4耐に敗者復活できるのだ。
26秒台なら2耐の方は確実なんだろう・・・「2耐ぐらいで騒ぎ過ぎなんじゃないの?」
そう、最終ラップを走り終えた僕はそのまま一周してピットに戻る。
つまり、最終ラップのタイムをサインボードで知ることができないのだ。
騒ぎの中、タイム計測をした友達が震えながらストップウォッチを見せてくる。
鈴鹿サーキット 2’24.775 予選16位
これまでのベストラップは 2’26.529
あらら~、「2秒縮めよう」と思って走ったら縮まっちゃった・・・
普通はタイムなんてこんな縮まり方しない、1周2秒なんてとてつもない数字だよ。
つい2か月弱前まで”2分30秒”を切れなくて泣いてたのに(T_T)
決勝は走らないつもりだったが、周りの騒ぎっぷりを見ていると走らざるを得ないようだ・・・
さて決勝だが、相方のタイムは僕の10秒落ち。
語るまでもないだろう。
しかも、決勝日にメカニックを買って出てくれた友達は、僕の指示を無視して勝手なキャブセッティングをしおった。
おかげで、ストレートで6速に入らないというチンタラぶり・・・
後になって思えば、すぐにピットインしてセッティングの変更をするべきだったのだが、決勝はかなり投げやりだったので「まあ、どうでもいいか・・・」 と。
スタートでエンジン始動に手間取り出遅れ、SP400軍団に囲まれる(ゼッケン18)
すぐに抜け出す・・・
給油&ライダー交代
レース後半、S字でチェーンが外れる・・・
これにも裏話があり、決勝前「チェーン換えとかんでいいか?」と、相方に言っていたのだが、何もせず・・・
なんか・・・、何もかも一人で背負った挙句、忠告も聞きやがらんと結果これかい!
マシンを押しながら悔し涙がボロボロ出てきた・・・
せっかくの晴れ舞台なので、福岡から両親と妹を呼んでいた。
それに弟の嫁が加わってグランドスタンドで観ていたらしい。
後で感想を聞くと、
「あんたが(兄ちゃんが)走っとる時はどんどん抜いて来るけん面白かっちゃけど、相方に替わったらどんどん抜かれてくるけん、いっちょん面白なか。 イライラしとった・・・」 だって。
妹と弟の嫁は、僕が走っている時はレースを観ていて、相方に替わると遊園地でジェットコースターに乗っていたらしい・・・
島田さん
ご無沙汰です!
こんなの見つけちゃいました!
懐かしいですね!
田中和人くんのお墓参り、
今年は一緒に行けませんか??
ご連絡下さい!!
及川くん、久しぶり!
オレは今、九州福岡に住んでて、でなかなかそっちまで行く機会はないかと思うけど、島田を誘ってぜひ田中和人君の墓参り行ってきて!
オレの分まで・・・
はじめまして、ものすごく、懐かしいの拝見させて頂きました(^o^)
実は、投稿写真の中のSP400の30番は自分です。
当時、邪魔してたようで申しわけありません^^;
あの頃に戻りたいですね(^o^)
はじめまして(^o^)とても懐かしいの拝見させて頂きました。写真のSP400の30番は自分です。
コース上で邪魔してたようで申しわけありません>_<
懐かしく、胸が高鳴る思いです。
あの頃に戻りたいですね(^^)
今井さん、コメントありがとうございます m(_ _)m
こんなブログをよくぞ見つけてくれました。
ホントにあの頃は楽しかったですね~
今でも走りたいと思うんですけどね、30年振りに!?