今この瞬間の輝きを

平時の施策

昭和金融恐慌

東日本大震災の発生から、日本の経済政策はますます混迷の度合いを深めてきた。
混迷の原因をフレーズにまとめると、「復興よりも増税重視の政府、何もしない日本銀行」という風に表現できる。

震災のわずか2日後、菅首相と自民党の谷垣総裁とが会談をもったが、その場で真っ先に復興政策として話題になったのが増税であった。まだ被害の実態も把握できず、復興自体よりも人命救助が最優先の時期なのにもかかわらずだ。

また、各界の著名人や被災した県の知事らを集めた復興構想会議でも、真っ先に取り上げられたのが消費税増税だった。政府の震災や原発への対応が後手後手にまわる中で、異様なほどの素早さで毎回提唱されているのが増税である。
実際に、この一連の動きをコントロールしている財務省の官僚たちにとっては、復興構想会議の主力メンバーが「消費税増税が復興に必要」とマスコミに宣伝した時点で、この会議の任務は終えたと考えているらしい。

また日本銀行は、震災前もそれ以降も相変わらず「穏やかな回復基調」という「基本シナリオ」を維持している。つまり東日本大震災は、日本銀行の経済の見方にいささかも変更を与えていないのだ。
これは常識的に見ても異常なことだろう。
例えば震災直後に円高が進行した。
これを問題視した各国の中央銀行が協調して為替相場に介入し、円高の進行を食い止めた。
だが、その後は日本銀行の「何もしない」政策態度が鮮明になるにつれて、円高が再進行しているのが現状である。

政府(財務省)は、従来から「財政再建」のために消費税増税を狙っていた。
日本銀行もまた震災前からの「基本シナリオ」に固執して何もしていない。
このような「平時の官僚的な発想を、非常時でもそのまま適用する」では、復興どころか震災恐慌に至る危険性を秘めている。

実は日本の歴史を見ると、このような「平時の官僚的な思想」によって大震災を契機として日本経済を苦境に陥れたケースが少なくとも2回ある。

ひとつは1923年に起きた関東大震災
政府と日本銀行は「財政再建」に固執して緊縮財政や財界の整理を唱え、円高政策を容認した。
それが後に1927年の昭和金融恐慌、30年の昭和恐慌につながる。

もうひとつは1995年の阪神・淡路大震災
消費税増税と金融引き締め気味の日本銀行の政策によって、1997年の金融危機、そして日本の「失われた20年」を決定的なものにした。

今の日本もこの2つのケースときわめて似た進路をたどっているように見える。

 

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