浜岡原発の全炉停止も、一部には「菅直人の英断」といった評価があったが、いかにも唐突で強硬な指示だった。
そもそも浜岡原発は、今すぐ止めても2年後に止めても、地震で止まっても、リスクは変わらない。
原子炉が「冷温停止」の状態になっても、原子炉や燃料貯蔵プールにある核燃料は今後も熱を出し続けるため、3~5年ほど冷却する必要があるからだ。
津波に対する安全性は福島第一原発と違って十分に確保されている。
にもかかわらず、なぜこれらの指示が実施されたのか?
実はこれらの唐突な指示はすべてアメリカ政府の圧力によるものだと言われている。
もし浜岡原発が福島第一原発のような状態になったら、横須賀を母港とするアメリカ海軍・第7艦隊司令部の機能に障害が出るからだ。
第7艦隊は、東経160度線以西の西太平洋・インド洋を担当区域とするアメリカ海軍最大の艦隊だ。
だが全炉停止したからといって、そのリスクは変わらない。窒素注入も水棺も理不尽な要求であり、言うことを聞く必要はなかったのである。
もともとアメリカの識者には、誰に対しても「相手が反発する」ことを「前提」に強い意見を言うという特徴がある。
だから理不尽な要求も平気で突きつけてくるのだが、アメリカはロジックの国だから、最初は自分の意見を強く主張しても、理屈さえ分かればすんなり意見を変える。
それがアメリカのスタイルであり、良さである。
もし日本政府が前述したような理論武装をして、アメリカ側の要求を受け入れる必要がない理由を説明していたら、アメリカ政府は納得したはずである。
つまり、アメリカの理不尽な要求はこちらの反論能力の無さゆえである。
逆に言うと、日本にリーダーシップのある指導者が現れない限り、アメリカと対等な関係は構築できない。アメリカの言うことを「イエス・サー」と飼い犬のごとく従順に聞く癖は、自民党政権時代と同じである。
同じアジアの国でも、シンガポールや中国がアメリカに対してここまで卑屈になることは稀である。
指導者にリーダーシップが欠如しているとどういう動きが出てくるか?
「大連立」である。
しかし、大連立は「異論の排除」→「大政翼賛」→独裁政治」という戦前の悪夢につながっていく。
それが歴史の教訓である。
そもそも異論を制御できないのは「無能」と同義語だ。
反対意見の人を金や利権で釣って味方に引き入れるのは、リーダーシップのない輩の常套手段である。日本経団連の米倉弘昌会長までが大連立を声高に叫んでいるが、あまりにもご都合主義かつ見識不足で呆れるほかない。
正しいリーダー、本当のリーダーは、反対意見に磨かれて出現するものだ。
その点、日本の国民はリーダーに対する目線が緩すぎる。
国家の将来を左右するような問題については、国論を二分して議論しなければならない。
たとえば、原発は必要なのか必要ないのか。脱原発となった場合は様々な犠牲を伴うが、それを覚悟するのかどうかー。
これは政治家ではなく、国民が決めなければならないことである。
ダメな経営者は、あれもこれもと「and」でつないでいくことが多い。
一方、優れた経営者の意思決定は必ず「or」で、常にAかBを選択している。
それは政治家も同じである。
リーダーにはやらなければいけないこと、やってはいけないことを、その都度その都度的確に判断し、説明し、決定していく能力が必須なのだ。
そのためには何が必要か?
リーダーに反対意見を言える側近がいるかどうかが一つのポイントだ。判断するための証拠が足りなければ、判断できるだけの証拠を持ってこさせる。
あるいは、利害関係のない3人のエキスパートから別々に意見を聞き、そのうち2人の意見を重視する「2アウト・オブ3」のロジックで意思決定をする。
そういった側近たちを組織することも、リーダーに求められる非常に重要な能力である。
この国は、震災、原発、そして国債のメルトダウンという未曽有の危機の真っ只中にある。
政局を弄ぶ”宇宙人”や”壊し屋”などの暇人が溢れる永田町にダメ出しをするのは、国民の大切な役割だ。
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