弱者に涙する惻隠の情というのは、「武士道精神」の中核をなすもの。
日本人らしさの根本と言っていい。
いくら社会が変わり、デフレ不況に苛まれ、アホな政治家ばかりになっても、多くの日本人の間に脈々と惻隠の情が受け継がれている。
それが今回の震災と原発事故で確認できたー
被災地の人々は、不平不満を言う前にまず自衛隊やボランティアに感謝の言葉を伝え、炊き出しにはきちんと行列を作り暴動や略奪に走ることもない。
大体、日本人は火事場泥棒というのを極端に嫌う。
そんな卑怯な振る舞いを嫌悪するのもまた武士道精神に通じる日本人らしさの象徴。
また、自衛隊員たちの献身ぶりにも同じことが言える。
幕末から明治にかけて日本を訪れた欧米人の多くが、貧しいけれど助け合って暮らしている日本人の姿に感嘆の声を上げていた。
「日本には貧乏人は存在するが貧困は存在しない」と看破したのは、アメリカ人動物学者のモース。
日本研究者のイギリス人バジル・チェンバレンは、「この国のあらゆる社会階級は社会的には比較的平等である」と評し、イギリスの詩人エドウィン・アーノルドは、「地上で天国、あるいは極楽に最も近づいている国だ」とまで言った。
では、なぜ日本人はそうした「日本人らしさ」を忘れてしまっていたのかー
それは、端的に言えば、献身や武士道精神といった日本人の「美徳」は、すべて先の戦争につながる「悪徳」であると教え込まれてきたからだ。
日本の歴史が戦後アメリカによっていかに書き換えられ、日本人の誇りがどれほど蹂躙されたか。GHQは、献身は軍国主義につながると洗脳し、そんな時代遅れの価値観を捨てて個人の幸福をひたすら追求する個人主義を奨励した。
また新自由主義、すなわち競争こそが善であり、規制をすべて取り払って弱肉強食の世界を実現することが豊かな社会を築くための最も素晴らしいやり方だと吹聴した。
そんなグローバリズム、別名・貪欲資本主義の荒波の中で捨て去られたと思っていた惻隠や献身という伝統的な価値観がいまだに日本人の中に残っていた。
一方でアメリカは建国以来230年間、自由と平等を絶叫しながら、いまだに真の自由も平等も実現できていない。
こうしてみると、アメリカの方が日本より遅れているということが分かる。
今度の震災は、日本人が「日本人らしさ」に気付くことができた千載一遇の機会だったともいえる。
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