作家タブーに右往左往する出版社系週刊誌だが、そもそも提灯記事自体が百田センセイ自身から持ち込まれてゴリ押しで掲載させたもの。
そして昨年11月半ばには百田本人から反論インタビューの取材依頼があったという。
百田センセイは自身の単独インタビューを要求したようだが、さすがにそれでは大きな批判が予想され、検証的な記事でさくら氏を登場させるという線で百田氏を説得したということだ。
さらに、自身の単独インタビューを諦めた百田氏は、今度はさくら氏の単独告白記事を要求。
それを了承した週刊誌は、5時間にも及ぶさくら氏へのインタビューを行ったが、その内容はとても”使えない”ものだったという。
例えばイタリア時代のブログについても、
「家族を安心させるためだった」と言っていたのが、「途中で止めたが、友達がかってに更新した」「妹が勝手に更新した」などと変遷。
ネットで連日のように暴かれていく疑惑についても、結婚歴に対する質問には、
「ストーカーが・・・」「レイプされそうになって・・・」など、話自体がよく分からないもの。
さらに帰化した時期や”さくら”という改名に対しても理解し難い説明を繰り返したようだ。
そしてさくら氏は校了直前、記事内容の大幅な差し換えを要求するという厄介事も起こしていた。
問題となったのは、たかじんの自宅に置いてあった2つの金庫の中にあった、2億8000万円に関する記述だったようだ。
2つの金庫のうち、”たかじん用”の1億円は当初から遺産に含まれていたが、残りの1億8000万円をさくら氏が”自分のものだ”と主張する。
週刊誌のインタビューに際し、「1億8000万円のうち、1億円は乳腺炎になったり、耳が聞こえなくなったために主人から貰った慰謝料。残り8000万円は伯父から貰ったもの」と説明していた。
『殉愛』では「伯父から”借りた”額は5000万円であり、一部報道ではさくら氏は乳がんを患った」とされているが・・・!?
そして校了直前、まったく違う内容に書き直したいと言ってくる・・・
「私と主人は業務委託契約を交わしていましたが、それはただの書類に過ぎず、私は1円も貰っていません。一方、2人の生活費として主人は毎月、いくばくかの現金を私に渡していて、やりくりする中で余った分は100万円ずつまとめてリボンにくるみ、主人が私の金庫に入れておいてくれたのです。それに加えてクリスマスや誕生日には、病気でどこにも連れて行ってあげられないから、と300万円を金庫に入れておいてくれたりもしました」
「業務委託にて1億8000万円」なのか、「生活費の余剰をリボンでくるんだ100万円」は貰ったものなのか、「300万円」はどんな扱いなのかよく分からない。
さくら氏はたかじんの遺言書を作成した弁護士を、たかじんの死亡後に解任している。
「金庫の中の現金は私のものだったことにしてほしい」という要求を弁護士が拒んだからだ。
たかじんの長女が遺留分減殺請求の権利を行使すれば、さくら氏の取り分は4500万円ほどになってしまうため、さくら氏にしてみれば1億8000万円の”在り方”は一大事であろう。
しかし、週刊誌の取材でなぜか自分が主張してきた”業務委託”ではなく、”慰謝料”という矛盾した主張をしてしまった。
それを後になって気付いたのか、誰かのアドバイスがあったのかは分からないが、「ヤバイ」と思って書き換えを要求したのではないか?
最初は「遺産ではなく自分のもの」と主張。
次は「業務委託契約」・・・ 契約についての詳細は明らかにされることもなく、「ただの書類」で「1円も貰っていない」のだという。
その後は「生活費の余剰金」に「リボン付きの100万円」、そしてイベント毎の「300万円」・・・
そんな中、さくら氏が百田センセイを同行して、遺言書にあった寄付先の2団体にその放棄を迫ったことはすでに報じられたが、その直後の12月24日、「大阪あかるクラブ」に2億円の寄付が行われ、桃山学院高等学校への1億円の寄付も正式に決定した。
たかじんの意思が辛うじて守られた形になったことは僥倖だ。
一方、さくら氏の苛立ちは大きく、自らを批判したメディア、ネットへの訴訟を準備中とも・・・
実際、『殉愛』の内容に異議を唱えたたかじんの元弟子・打越もとひさ氏を名誉毀損で提訴するという暴挙に出たのだ。
15人もの大弁護団を組んで臨んでいる背景には、蠢く利権集団の影さえ見え隠れする。
逆に考えれば、法廷の場に持ち込まれることによって『殉愛』に対する様々な疑惑が広く公になることでもあり、真実が明らかになる可能性もある。
それにしても腑に落ちないのは、やはり「なぜさくらなのか?」
新地や祇園で遊びまくったたかじんなら、いいオンナと悪いオンナの区別ぐらいつくやろ。
どういった理由でさくらの接近を許したのか?
「昔好きだった女によく似ている」程度のことではないと思うが・・・
コメントはこちら