今この瞬間の輝きを

大阪のおばちゃんに学ぶ

大阪のおばちゃん

大阪には、「おばさん」や「おばさま」はおらず、皆おばちゃんである、といわれる。
一般に、おばちゃんといえば「強い」の語が連想されるが、おばちゃんの前に「大阪の」が付くと「最強」になる。仙台の、東京の、福岡のおばちゃんという言い方はしないが、大阪のおばちゃんなら普通に言っている。
一種のブランドである。

大阪のおばちゃんは、良く言えば「大胆」である。反転すれば「図々しい。
周りのことなどお構いなし。我が道を行く。列を乱す。
わずかな隙間であったとしても無理矢理に座る。

しかし、快活で親しみやすい。おせっかいだが親切だ。
愛想が良い。口は悪く、言葉は荒くても、愛情がある。
よく動き、そしてよく笑う。下町の人情そのものだ。
とことん人が好き。人情、愛情など、「情」に特色が強く出る。

亭主にもポンポンとものを言う。本音でぶつかる。
といって尻に敷いているのとはちょっと違う。立てる術を心得ている。
亭主をしっかりもんに見せるために、懸命に働く。
やりくり上手だからケチにもなる。

こうみてみると、単に厚かましいだけではないのが分かってくる。
大阪のおばちゃんは、プラス、どこか人をホッとさせる愛嬌を持ち合わせている。
料理がおいしければ「けっさくやな、これ」と誉める。
その言葉が周囲に笑いと温もりを生む。
これがなければ「正統な大阪のおばちゃん」ではないのだ。

別の視点から眺めると、日本人が置き忘れてきたものや日本人が不得手とするものを有しているのが分かる。この時代、それらを取り戻し、新たに手に入れるためにも、大阪のおばちゃんに学ぶべきものは少なくない。

いっそのこと、国会議員すべてを大阪のおばちゃんと入れ替えるのもいいだろう。

 

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