今この瞬間の輝きを

ロードレース・デビュー

ライセンス

車の免許を取ったのは19歳の時だから、19~20歳の時にサーキットライセンスを取得したはず。
(該当サーキットを走行するための、言わば「走行許可証」みたいなもの)
まずは当然、、三重県「鈴鹿サーキット」 次いで、茨城県「筑波サーキット」

そして、レーサーの登竜門ノービス・ライセンス
(レースに参加するための「認定証」みたいなもの!?)
ライダーのレベルに応じて3段階のライセンス区分があって、
ノービス(国内B級)国内A級国際A級

以前は、
ノービス→シニア→国際B級→国際A級
・・・という4段階の区分けをしていた時期もあったようだし、僕が辞めた後も呼称はいろいろ変わったようだ。
もちろん最初は皆「ノービス」から始まり、成績に応じてランクアップしていくのだが、ここは当時のままの呼称でいくとする。

 

筑波サーキット SP125&SP400

当時、いちばんお金の掛からないクラスだったのが、”SP125”というカテゴリー。
このクラスなら、普段鈴鹿スカイラインを走っている単車でエントリーできる・・・ のだが、鈴鹿サーキットではこのクラスのレースは行われていなかった。

ということで、デビューレースは筑波サーキットで。
わざわざ練習しに行ける距離ではないので、当然ぶっつけ本番。
弟と二人で乗り込む。
BGMはもちろん、「汚れた英雄」のテーマソング、ローズマリー・バトラー 「Riding High

木曜日に、練習走行の枠を確保し、
金曜日に、公式練習
筑波サーキット
土曜日に予選で
筑波サーキット
日曜日に決勝
MBX125F SP125
結果は、0.2~3秒及ばず予選落ち。
まあ、ぶっつけ本番でこの程度の差なら・・・ と、ある意味自信を付けた初レースでもあった。
その後、もう一度エントリーするも良く似た結果に・・・

”87には、マシンをヤマハのFZR400にスイッチし、SP400クラスにエントリー。
FZR400

ところが!
先日の鈴鹿サーキットでの練習走行の際、第一コーナーで大転倒をやらかした。
その時にフレームのヘッド部、ステアリングステムを固定するベアリング部を損傷していたらしい。
症状だけ言うと、フロント部を持ち上げて前後に揺するとカクカク動く。
つまり走っていると、加速でカクン!減速でカクン! と、フロント周りが前後に動くわけだ。
FZR400
ここまで来て走らずに帰るわけにはいくまい。
どうしたかと言うと、接着剤を流し込み一晩固定して次の日の予選を走った。
フレームに対して、フロント周りが垂直に刺さっているかどうかさえ疑わしい・・・
FZR400

そして、またもやよく似た結果に・・・
「どうせなら、はっきり”遅い”といった結果にしてくれ~」
なんだこの微妙なタイム差は・・・

 

この後、まとまったお金を作ろうと長中距離のトラックの運転手をすることになり、2年程サーキットから離れる。
後で思えば、なんておバカな選択をしたのかと・・・
運転手稼業は過労が祟った挙句、居眠り運転で玉突き事故を起こし、無事に!?終焉を迎える。
結局、まとまったお金どころか、借金を作りながら・・・

現在、3戦連続予選落ち・・・

 

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