今この瞬間の輝きを

ロードレース本格始動

1989年

トラック稼業の後、友達の紹介でホンダの下請け工場の仕事へ。
ここはなんとも珍しく、レーサーの卵ばかりが集まっていた。
カートやFJ1600などの四輪から、ミニバイク~ロードレースまで・・・

仕事中など、どこからともなく
「パーン、パーン、パンパンっ、パラララ~、パイ~インインイン、パ~ン、パ~ン・・・」
そう、皆仕事中でも手は動かしながら頭の中で「サーキット」を走っているのだ。
僕も散々頭の中で走りましたよ、鈴鹿を。
で、イメージトレーニング中でもリアルに”転倒!”するんですね・・・^^;

この時、サーキットを走れるマシンが僕には無かったのだが、友達が「4耐に出たい。マシンは用意する。一緒に走ってくれ」 と言ってきた。
断る理由など無い。

鈴鹿4時間耐久レースといえば、真夏の祭典! ノービスライダーの甲子園!!
これだけに照準を合わせ、1年間準備してくるチームもあるくらいだ。

 

1台のマシンを2人で交互に乗るという久しぶりのサーキット。
マシンは、ホンダの’89 NSR250RK
4耐まで3ヶ月ほどしかない。

少し走ると、2分30秒台まではすぐに出たのだが、ここからが縮まらない。
当時の鈴鹿ではここが一つの壁だという。

4耐に出場するには、それまでに最低1レースの出場が義務付けられる。
予選を通過するかどうかは別として。
6月の鈴鹿選手権 ノービス・F3クラス にエントリーするも、予選落ち・・・

この年、鈴鹿商工会議所の青年部会が主催する、「グッドライダー・キャンペーン」の一角として、4耐出場のライダーを支援するという企画に参加させてもらう。
支援金の方は・・・ あっ、レーシングスーツを買ってもらったんだ♪
友達とお揃いにしろと言われたが、まったく一緒は嫌なので色違いにしてもらった。
青いラインは友達で、ラベンダー色のラインが僕。
今回の写真では登場しませんが・・・

 

’89 鈴鹿4時間耐久ロードレース

さて、4耐本番だが・・・
予選での走行 シケインにて
'89 4耐
'89 4耐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直前になって急遽jahのチャンバーを使用するも、準備不足・・・
'89 4耐
'89 4耐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相変わらず、2分30秒を切れずに予選落ち。
まあ、今回は3か月の準備期間と練習不足では「なめんなよ!」というところか・・・

この後はレースへのエントリーは無く、
(・・・と思っていたのだが、記憶が定かではないエントリーがあったかも・・・)
レース雑誌での個人売買にて、’88 NSR250RK を手に入れ、来シーズンに備えることとなる。

来シーズンだとこのマシンは2年落ちとなるのだが、まだ決勝レース云々のレベルではないし、あくまでも練習用だ。
ところが、この相棒がとんでもないことをやってくれる・・・

現在、5戦(6~7戦!?)連続予選落ち・・・

 

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