今この瞬間の輝きを

初のフロントロー

RS250

1991年 今シーズン、初めて”新車”を手に入れる。 市販の純レーシングマシン ’91 RS250R もちろん、写真のようなカラーリングは施されていない。 無垢な真っ白の状態だ。 諸々のスペアパーツ込みだと200万円! こんなの毎年買い替える余裕などない。 当然、勝負の年にするつもり!!   1991.2...

コースレコードが射程内・・・

鈴鹿トロフィー

4耐が終わってからは、12月まで鈴鹿でのレースは無い。 その間、おそらく他のサーキットへも行ってないはずだし、自分のマシンをどうしたかも、今では覚えていない(-_-;) それより、僕が行っていた職場には社内チームがあった。 4耐までの僕の成績を見て「とにかく社内チームに入れ」 と、しつこく誘われる。 それで、「来年結果を出せば...

’90 鈴鹿4時間耐久ロードレース

'90 4耐

初優勝が嬉しくなかった訳は、レーサーとしてチャンスを掴むパターンに、”スーパーノービス”として注目されるのが一番の王道だった。 優勝してしまったことにより、来シーズンの「国内A級」昇格が確定してしまったのだ。 今シーズン中に”スピード”を身に付けなければならなくなった。 まだ、鈴鹿で「壁」すら越えていないというのに・・・ 6月...

初の決勝、そして初優勝!

'89 2 中山サーキット

1990年 これまで足かけ5年、5戦(6~7戦!?)連続で予選落ちを喰らっているわけだが。 不思議と、焦りや不安は無かった。 何かキッカケのひとつで、コロッと変わる気がしていたからだ。   1989.12.17 ’90 鈴鹿選手権シリーズ 第1戦  国内B級(ノービス)-F3 鈴鹿西コース 1’32.19...

ロードレース本格始動

'89 4耐

1989年 トラック稼業の後、友達の紹介でホンダの下請け工場の仕事へ。 ここはなんとも珍しく、レーサーの卵ばかりが集まっていた。 カートやFJ1600などの四輪から、ミニバイク~ロードレースまで・・・ 仕事中など、どこからともなく 「パーン、パーン、パンパンっ、パラララ~、パイ~インインイン、パ~ン、パ~ン・・・」 そう、皆仕...

ロードレース・デビュー

MBX125F SP125

ライセンス 車の免許を取ったのは19歳の時だから、19~20歳の時にサーキットライセンスを取得したはず。 (該当サーキットを走行するための、言わば「走行許可証」みたいなもの) まずは当然、、三重県「鈴鹿サーキット」 次いで、茨城県「筑波サーキット」 そして、レーサーの登竜門ノービス・ライセンス (レースに参加するための「認定証...

峠小僧

峠小僧

鈴鹿スカイライン 18歳で鈴鹿に出て来て、仕事をしながら週に3日以上は鈴鹿スカイラインを走っていた。 そこでカルチャーショックを味わう! カワサキのAR80という単車が、ホンダのCB750Fを追い掛け回していた・・・ もちろん下りだけだが、これには参った。 ボー然とした(・_・;) 上りでも750ccに勝ちたいと考えた僕は12...

夢は世界GP

鈴鹿8耐

明日は、「鈴鹿8時間耐久ロードレース」の決勝だ。 そして今日は、ノービス・ライダーの祭典「4時間耐久ロードレース」の決勝でもある。 てっきり来週だと思っていたのだが、連れに「来週があるか?」と言われた。 そう、8耐は毎年7月の最終日曜日に開催されるのだ。 ああ、勘違い・・・ 僕が一度だけ出場したのが、1993年の「鈴鹿8時間耐...

二輪ロードレース経歴

鈴鹿8耐

1985年前後と、1989~1994年に熱中していた、二輪ロードレースの経歴を紹介してみたい。 レースを止めてからちょうど20年となる節目の年、レーサーになろうと思ったキッカケから始まり、引退!?に至るまで、少しづつ思い出しながら綴っていくとする。幸いにもレースリザルトは手元に残っているが、無いものも少々あるようだ。 僕にとっ...

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